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岩合光昭 『猫を撮る』 朝日新聞社
朝日新書。新書なので、カラー写真は口絵のみでした。内容は猫の写真集で有名な著者が、猫写真を撮る極意や、撮影時のエピソードをつづったものです。ちなみにオフィシャルサイト。会員登録すると犬・猫の写真が見られます。私は、猫の日本編にある小さな駅の線路で猫が日向ぼっこしている写真が好きです。本書の巻末にあるパンダやライオン写真もあり。

写真は趣味ではないのだけれど、猫派か犬派かと問われれば、猫派です。犬は、小学生のころ、野良犬に追いかけられたことがあるので、ちょっとだけ苦手意識があります。一方で猫は、母方の祖父母の家で飼っていたので、なんとなく馴染みがあります。小学生のころ、夏に祖父母の家に行くと猫を追い掛け回して、ものすごく嫌われていました。家で動物を飼っていなかったので珍しかったというのもあったのですが。

本書には猫が子供嫌いである理由が書かれていました。動きが激しいから、だそうです。子供は猫を見つけるとまっしぐら。そういえば、私もそうでした。二階の瓦屋根の上まで追いかけていました。八月の日差しが照りつける黒い屋根瓦は、足の裏がひりひりと熱かったのですが、それ以上に屋根の向こうに消えるときに、ちらっと振り返った猫の心底嫌そうな顔が忘れられません。それから、縁側の下に逃げ込んだところに、手を突っ込んでひっかかれていました。

猫の気持ちになって考えると、自分の何倍もの大きさの動物が飛びかかってきたら、怖いだろう、とあって、深く反省しました。猫の気持ちなど、全く考えていませんでした。猫に好かれる人は動きのゆっくりとした人が多いのだそうです。猫に会うときは、気をつけよう。

他にも、街の様子、オス猫とメス猫では、オス猫のほうが被写体になってくれやすい、メス猫と子猫の関係など、写真を撮らなくても猫好きなら楽しめる内容が盛りだくさんでした。ただ、今は撮影場所を書くと、心無い人がやってきて猫たちの生活が脅かされる危険があるので、はっきり書けないとのこと。せちがらい世の中だなぁと思いました。猫は、野良猫でも人の近くで暮らしているので、人の影響をもろにうけているわけで。猫が猫らしく暮らせる環境というのは人にとっても良い環境なのでしょうに。
# by alcyon_sea | 2007-03-18 21:48 | ノンフィクション
パオロ・マッツァリーノ 『つっこみ力』 筑摩書房
正直、『反社会学講座』のほうが面白かったです。が、これはこれで結構楽しめました。随所に無駄知識がちりばめられていて、楽しかったです。社会学につきものの統計の胡散臭さについて相変わらず熱く語っています。

統計は、確かに。これは私の体験ですが、かつて、××社会学の先生が、なにかの雑誌を読んで感銘をお受けになって、学生におっしゃったことがあります。日本人はアメリカ人に比べて、予想の付かないことがおきたとき、それに耐える遺伝子(なんじゃそりゃ)が少ないから、不況になるとおたおたして、なかなか回復しないんですって。私はついつい、質問してしまいました。日系アメリカ人はどーなんですか?と。なので、統計はアヤシイという、著者の主張にはうなずける部分も多いです。

ただ、全体的にアカデミズム批判がやや強すぎるような。そこまでしつこく批判するのは、常勤講師先が見つからんのかとか、それとも勤務先にいやなアカデミズムの権化がいるからか、とか嫌なアカデミズムの権化には30代後半で綺麗な嫁さんがいるからか、とか(多分痛くもない)腹を探りたくなります。インセンティブを、ね…。(笑)

それと批判はつまらんから、誰も耳をかさない、お笑いが大事といってますけど、著者渾身の肝心のお笑いがあまり面白くないのもちょっとつらい。とりあえず、家政法経大は、男子中・高生が喜びそうなレベルのネタだと思います。確かに、批判しているだけでは何も生まないし、つまらないよなぁとは思いますが。(逆にお笑いがいかに難しいか、ということでもあるのでしょうね)

著者の経歴は相変わらずアヤシイというか、アヤシサが増してました。
# by alcyon_sea | 2007-03-12 22:39 | ノンフィクション
わりとどうでもよい衝撃
最近知って衝撃を受けたこと

その1
『東京大学物語』は最後は夢オチだったらしい。てか、完結してたんですか。

昔、数冊友人に借りました。腎虚で逝きそうな人がたくさんいるなぁという印象でした。あと、エロだけでまるまる1話くっていた回があったので、ストーリーを考える手間が省けてよいね、とも思った記憶も。

あれが全部夢オチかぁ…。絶句。が、どちらかというと、金もらっても家に置きたくない類の漫画なので、わざわざ噂の真相を確かめる気にはなれないです。


その2
森岡浩之が、星界シリーズを出す前に、別名義で某F書院でエロ小説を書いてた、らしい。

ぐぐってみたら、銀河帝国とか、皇女とかがでてくるSFエロ小説の模様。皇女さまが陵辱されたりするらしい。古式ゆかしいエロ小説の模様。古本で現在も入手可能のようです。なにせ、新刊がいつまでたっても出ないので、なんとなく興味が……。

と思ったら、3月8日に新刊発売みたいです。…本編ではなく、断章ですけれど。というわけで、別名義のエロ小説は、まぁいいです。

前の巻で次巻はまもなくといっていたはずだけど、どうなったんだろう。本当に10年待ちになるのか?さすがにそれだけは。
# by alcyon_sea | 2007-03-06 20:40 | 雑文
フェルドウスィー 『王書』 岩波書店
サブタイトルは「古代ペルシャの神話・伝説」。イスラム以前のペルシャです。アッラーではなく、拝火教の神の名が出てきます。↓表紙の紹介文から。

ササーン朝ペルシャがアラブの侵攻で倒れて三百数十年,11世紀初めにアラブ中央政権に対抗して書かれたペルシャ民族高揚の叙事詩―神話・伝説・歴史時代の3部構成からなる「ペルシャ建国の物語」。今も,誰でもその1節を暗誦することができる,と言われるほどイランの人々に愛されている『王書』からその名場面を抄訳。
なるほど。征服されたので民族高揚か。なんとなく旧約聖書を思い出す…。「創世記」なんかはバビロン捕囚時なぞに書かれたのですよね。

それはともかく、神話時代は結構面白かったです。(実のところ、ブックオフで捕獲した主たる理由は、某和製ファンタジーのネタ本の一つだからなので、それ中心に読みました)

というわけで、某和製ファンタジー関係中心にメモ。

○第一部 神話時代
王たちが順番に出てきます。
1 カユーマルス王(在位30年)
2 フーシャング王(在位40年)
3 タフムーラス王(在位40年)

ここまでは、なぜか在位年数が比較的普通。すでに悪魔との戦いが出てきます。カユーマルス王はわが子スィヤーマクを悪魔に殺されます。その敵を討ったのが、スィヤーマクの子フーシャング王。でも、何が何でも悪魔は殲滅せよ!、ではないみたいです。タフムーラス王は悪魔との戦いに勝ちます。悪魔たちが殺さないで下さい、そうしたら秘術を教えますといったら、願いを聞き届けています。そして、悪魔たちから文字や何種類もの言語を学んでいます。悪魔から学ぶなんて結構柔軟です。(悪魔はペルシャ民族より文化の発展していた異民族だったのかも)

4 シャムシード王(在位700年)
シャムシードからザッハークは某和製ファンタジーのネタ元の模様。熱心に読みました(笑)

いきなり、のびる在位期間。偉大なる統治の王、だそうで。在位中いろんなことをしています。悪魔を使って、建物を建てたり、宝石を鉱物の中から取り出したり。シャムシードの治世は平穏に過ぎ去り、「人間は死をしらず、苦しみも不幸もなく、悪魔たちは奴隷のように鎖につながれていた」そうです。

が、あるとき、王は傲慢不遜になり、神を崇めなくなります。で、自分を崇めよと命じるわけです。その結果、神の恩寵は王を離れ、争いが世に広がったそうです。(某和製ファンタジーだと、この理由は省かれていたような?説教臭くなるからか、こんな理由はないほうが悲劇性が増すからか、はわかりませんが)そんななか、ザッハークが台頭してきます。

ペルシャ神話のザッハークは最初から悪人でも悪魔でもありません。多少権力欲は強いのですが…。砂漠に住むアラブ人の王の息子です。ある日、悪魔がやってきて、ザッハークを誘惑します。誰も知らないことを教えてあげるかわりに、私に従うという誓いを立てろと言います。ザッハークはひかっかり悪魔の掌中に落ちます。そして、悪魔の勧めのままに、実の父親を殺してその地位を簒奪。

悪魔は料理人に化けて、ザッハークに肉料理をだします。それまで、人々は肉料理は食べていなかったらしいです。で、肉料理を気に入ったザッハークが、悪魔に望みのものを言うがよい、と告げると、悪魔は両肩に接吻させてください、と願い出ます。接吻したとたん、悪魔の姿は消えて、ザッハークの両肩から一匹ずつ黒い蛇が生えてきました。この蛇は切っても切っても生えてきます。医者もどうにもできません。

そこで、悪魔が医者に化けて再登場。蛇を切り落としてはいけない。餌を与えて宥めてやろう。ただ、餌は人間の脳みそのみを与えること。この餌が蛇の命をとるかもしれないから(しれないから!?テキトーすぎるよ)と治療法を教えます…。肩から蛇が急に生えればパニックに陥るのはわかるけど、変な治療法を信じてはいけません…。

その後、ザッハークはシャムシードが人望を失って混乱しているペルシャに乗り込み、シャムシードを倒してペルシャを征服。

5 ザッハーク王(在位1000年)
蛇王。在位期間が長すぎます!それはともかく、シャムシードを倒したザッハークはシャムシードの娘シャフルナーズ、アルナワーズを妻にします。

肩の蛇にやる餌のために、毎日二人の若者が殺されます。で、若者を救うために二人の人物が、料理人になります。毎日一人を助けて、動物の脳みそ(別に羊とは限らなかったらしい)と人の脳みそを混ぜて料理して出します。救われた若者が200人に達したとき、彼らに羊とヤギを与えて砂漠に送り出します。別に彼らはザッハークを倒すために立ち上がるわけではなく。クルド族は彼らの血を引いているそうです。定住地を持たず、テントに住み、心には神への畏れをもっていないそうで。…どうやら今に至るクルド族問題って、イスラム以前からあったみたいですね?

色々悪いことをしたザッハークですが、寿命残り40年になって、自分が倒される悪夢を見ます。自分を倒す人間がこれから生まれるらしいというので、色々画策するのですが、時既に遅し。ザッハークを倒すためにペルシャ人の青年フェリドゥーンが立ち上がります。フェリドゥーンは父をザッハークに殺され、牝牛の乳を飲んで育つけれど、その牝牛もザッハークに殺されてます。倒す動機は十分。

フェリドゥーンはザッハークを倒し、デマーヴァント山に鎖でつなぎます。山中の深い穴の底にザッハークを固定し、両腕を岩にくくりつけ長い苦しみを味わうようにします。実はフェリドゥーン自身はザッハークを殺そうとするのですけれど、天使にとめられるのですよね。悪はこの世からなくならない、ということのようです。

6 フェリドゥーン王(在位500年)
新生の王。フェリドゥーン王は、シャムシードの娘でザッハークの元妻シャフルナーズ、アルナワーズを妻とします。…この二人いくつなんですか?それに年上妻なんてもんじゃない。

ともかく王子三人に恵まれ、多少苦労したけど息子たちの嫁取りも首尾よく終わり、息子たちに国も分けてやり、めでたしめでたし、にはならず。上の息子二人が末息子をねたんで不穏な動きを見せ始めます。末息子に豊かなペルシャの地が与えられたのが不満の様子。ちなみに長男は小アジアと西方の地が与えられ、次男にはトゥーラーンの地(中央アジア・アラル海東方と推定される)が与えられました。ペルシャ神話だと、ペルシャもトゥーラーンも起源は一緒なのですね。でも、仲は悪いのですね。

よせばいいのに、兄二人と話し合いに出かけた末息子は、兄二人に殺され、王は深く嘆きます。が、やがて末息子の孫にあたる男の子マヌーチェフルが生まれ、マヌーチェフルは祖父の敵を討ちます。フェリドゥーン王は、マヌーチェフルに王位を譲り、三人の息子の首を目の前において嘆きます。

*私見
ザッハークが、父親を殺したり、人の脳みそを肩の蛇に食わせたりと悪なのは、アラブ人征服者だというのが多分に影響しているように思えました。ササーン朝がアラブに倒されて、アラブの中央政権に抗するべく書かれたのが『王書』みたいですし。悪魔ザッハークの正体は被征服民族ペルシャ人のアラブ人への憎悪、なのかもと思いました。やっぱ、人間のほうが悪魔より怖い(笑)でもその悪が、最初から絶対的な悪ではなく、ザッハークももとは普通の人間だったというところが、隣り合う民族同士の微妙な感情の表れなのかなぁ。ザッハークだけでなく、クルド民族のところもですが、今に至る中東情勢の複雑さを垣間見た気分。


○第二部 英雄時代
正直それほど面白くなかった…。頭が生まれたときから白髪だったので、父親に捨てられた英雄の話とかが出てきます。その英雄ザールは、ザッハークの血を引くアラブ人の姫ルーダーベと恋をして、すったもんだの末結ばれます。蛇王も子供を残すし、その子孫と結婚もできる、と。で、その二人からまた英雄が生まれ…と話は続きます。

面白くないのは、原文は韻を踏んでいるのだけれど、その感じが訳すると出てこないというのもあるのかなぁと思いました。
# by alcyon_sea | 2007-03-03 22:26 | 小説
齋藤孝 『読書力』 岩波書店
岩波は「教養」の発信基地。昔から機関紙「並」じゃなかった、「波」で「教養」を発信している。遺憾なことに、最近教養の価値が低下し、先細り傾向にある、らしい。教養の退潮(&岩波の退潮)を案じて出したと思われる1冊。

作者が言う読書とは、推理小説や娯楽本は含めず、精神の緊張を伴う読書のことをいうらしい。確かにそういった読書も大切だと思うし、本を読むことで、実際には体験できないことを体験できるし、考えることもできる、のだとは思います。そういったことが大切だというのも同意です。

でもね、読書力を上げると日本経済の復興もなると最初のほうで作者はおっしゃいますが、いかがなものかしら。バブル経済崩壊の時、経済界のTOPにいらした方々は教養主義がいまだ、廃れていないころ、つまり学生が今より本を読んだと思われる時に、学生時代をすごしたのだと思います。古くは大正教養主義も昭和のファシズムに対してなすことをしらなかったわけですし。読書とは、そのようにわかりやすく役に立つものなのかしら。それに、要約力・会話力・コメント力がついて、社会で有用なのだそうだけれど、作者自ら本をたくさん読む人間は孤独になりやすいといっているので、コミュニケーション力も本当のところどうなのだろうと、あやしく思ったり…。

ちなみに、作者の言う読書力がある目安とは、文庫100冊、新書50冊だそうです。もちろん、推理小説や娯楽本を除く。司馬遼太郎あたりが境目だそうです。精神の緊張という言葉から、日本に古くからあるなんとか道系の求道精神を感じます。そして、明確な数値目標と手順を踏めばステップアップできるらしい、明快さ。やっぱり何とか道系っぽいです。読書道という新たな道ができたのかも。

と、色々書きましたが、推薦の文庫100冊はネットで公開されてます。私はたくさん読んでない本がありました。(30冊強しか読んでない)読もう読もうと思ってなかなか読まなかった本も多い…。山本周五郎とか、マックス・ウェーバーとか。読書が役に立つ立たないは別にして、次は何を読もうかと思ったときに、結構参考になるかも、と思いました。(←リストに須賀敦子が入っていたので、満足&納得したらしい)

ところで、この本は新書50冊のなかに入るんですかね?字が大きい、やたらに読みやすく明快な論旨、この本のおかげで確かに教養の退潮を実感しましたが。
# by alcyon_sea | 2007-02-27 22:25 | ノンフィクション